からあげの賞味期限

あつくても、さめてもおいしいアイドルの話。

誰のうちわを持つか、持たないのか。それが問題だ。

担当という言葉に未だに馴染めない。出来れば自分を表す際には使って欲しくないとさえ思っている。類義語に該当する「推し」ならばすんなり使えていたのに、だ。担当というと、「責任を持つ」というニュアンスが感じられてしまうのからかもしれない。責任を持つ、という関係性は相手側がそれを認識して成立する、と私は思っている。

その結果、担当と名乗ると、なんだか好きな相手に対して一方的に色んな気持を押し付けてしまっているという感覚を覚えてしまうのだ。*1

私の感覚の問題である。推しだって勝手に気持ちを押し付けていることには変わりがない。担当を使用している人が勝手に願望を押し付けている、と言いたいわけでもない。むしろ最終的には全肯定的な人の方が多いと思う。
つまりは、私に担当という言葉の概念を満たせる程の気概がないだけである。他の人に薦めるという意味や、「トップアイドル」という座に推薦するという意味が、汲み取りやすく、かつ私のスタンスに近い気がして「推し」という表現の方がしっくりくるのだと思う。
 
そんな私なので、V6のファンクラブに入るまでに随分時間を要した。記憶が曖昧であるが、少なくともミッションの放送終了時にはまだ迷っていた。その理由の一つが「好きなメンバーが選べない」というものであった。一人選ぶ=担当という意味な気がして、億劫になってしまったためである。
 
加えて、セクバニコンは、仕事が詰まっており、行けないことが確定していたので、結論を急ぐ必要がなかったことも大きい。
 
コンサートを待たずして入ったのは、解散しそうで怖かったからだ。ちなみに今も怖い。Berryz工房を好きだった人ならこの感覚わかって貰えるのではないかと思う。
 
結論から言えば、長野君を選んだ。メンバーのマスコット的存在だったこと、黎明期における立役者である(と思う)こと、常に縁の下の力持ちであること、私が美味しいものを食べることが好きだったことを決め手とした記憶がある。縁の下の力持ちやグルメは私のなりたい人像に被るため、憧れに近い感覚である。
 
最後まで悩んだのが、健ちゃんだった。私にとって健ちゃんはアイドルを体現していたのに、世の中の人は「オカダとイノッチ以外はどうした」と言うばかり。色んなジャンルに造詣が深いのに、埋もれてしまっている…ミヤケ需要を示さねば!という気持ちがかなりあった。ちなみに未だある。ミヤケケンは超キラキラしてるんだから!もっとたくさんの人に彼の今を見てほしい。
…二十代の頃よりも彼はアイドルだと思う。V6の芯を担ってるのは、少なくとも今は彼と剛君だと思う。*2
 
長野君とオカダが繰り出すアクロバットが好きだし、空気感も好きなのに、オカダが候補に上がらなかったのは、きっとオカダ需要を示す必要性を感じなかったからである。
(今思うと健ちゃんだって私如きが需要示す必要性なんてないのにね。)
 
 
OMGコンではうちわは持たなかった。相変わらず決められなかったからである。あと、うちわ装備という自体にも敷居が高かったからである。こういうのを何というか、私とて知っている。自意識過剰である。でもユルく応援するスタンスを崩したくなくて持たなかった。
コンサートに行けば持つ人決まるだろう、という気持ちもあった。次から持てばいいや、と。
 
ところが、だ。コンサートで目で追ってしまうのはダントツでモリゴーこと、森田剛君立った。踊ってるのも綺麗でそっちを見たくなるし、多くを語らない分、一言が秀逸だ。
 
雑誌のインタビューや特典を見るとイノハラ凄い!ってなるし、学校へ行こうの時代は苦手だったリーダーのテンションも、色んな重圧から解放された今は懐かしいレベルで愛おしい。
 
結局、誰かに絞れないのだ。6人を同じレベルで常に好きな訳では無いけれど、非常に流動的で、移ろいやすいのだ。
 
 
当たるかもわからない現在も、誰のうちわを持つか決めかねている。ミーハーとか、DDとか、どうしても肯定的に取られないことが多い選択だが、ユルっとマルっと大好き。そんなスタンスで居たいなぁ、と思う。
 
 

*1:先日の健ちゃんのラヂオを見ていると、「ファンのケツを持つ」という発言をしていた。責任を持ちつ持たれつ。少なくとも健ちゃんを担当している人はそういう意味では相思相愛だったりするのかなぁ…。

*2:昔もかもしれないけれど、体感したことが無いから掴みづらい。